2016年05月03日
有難うございます。
4歳離れた兄が、鳥取から九州に転勤に成り
住み始めたのは、25年ほど前、、熊本益城町
転勤から数か月、、2歳離れた兄が、危篤と成り
益城から頑張れ弟!とエールを送り
益城に戻り、、、その1週間後兄は、5歳と三歳の二人の
娘を残し旅立ちました!あまりにも突然の事でした。
兄は、亡くなりましたが、義理の姉は、益城で暮らしたいと
危篤だった兄は、その後車椅子での生活になり
病院生活に
時折お見舞いに行き外出や外食をするのを
父も母も楽しみにしていましたが、
益城の大変な時に
2歳離れた兄が、危篤と連絡が入り
今度ばかりは、、、と覚悟を決め
祈る思いで、、、呼吸困難
人口呼吸器を進められましたが、
小学校6年からの闘病生活の兄
幾度もの危篤からの生還でしたので
主治医の先生との話で投薬で行きましょう、、!と
私達が、出来る事は、祈ることだけ、、、
手を握り体を擦り暖かいタオルで顔を拭いてあげる日々でした!
祈りが、届いたのか、、意識が、戻りうっすらと判る様に
成った様で、、ホッとです。
まだ油断は、出来ませんが、
益城の義理の姉も避難所生活しながらも
何とか暮らして居るよ!!との事
姪は、3人の娘と旦那さんと避難生活しながら
普通の生活、、日常を戻しつつ有るようです。
おっとり性格の姪は、オムツ、、ミルク、、大丈夫
皆さんのお陰と感謝と優しく婆ちゃんに話して居た。
多くの皆さんの感謝して居ます。
住み始めたのは、25年ほど前、、熊本益城町
転勤から数か月、、2歳離れた兄が、危篤と成り
益城から頑張れ弟!とエールを送り
益城に戻り、、、その1週間後兄は、5歳と三歳の二人の
娘を残し旅立ちました!あまりにも突然の事でした。
兄は、亡くなりましたが、義理の姉は、益城で暮らしたいと
危篤だった兄は、その後車椅子での生活になり
病院生活に
時折お見舞いに行き外出や外食をするのを
父も母も楽しみにしていましたが、
益城の大変な時に
2歳離れた兄が、危篤と連絡が入り
今度ばかりは、、、と覚悟を決め
祈る思いで、、、呼吸困難
人口呼吸器を進められましたが、
小学校6年からの闘病生活の兄
幾度もの危篤からの生還でしたので
主治医の先生との話で投薬で行きましょう、、!と
私達が、出来る事は、祈ることだけ、、、
手を握り体を擦り暖かいタオルで顔を拭いてあげる日々でした!
祈りが、届いたのか、、意識が、戻りうっすらと判る様に
成った様で、、ホッとです。
まだ油断は、出来ませんが、
益城の義理の姉も避難所生活しながらも
何とか暮らして居るよ!!との事
姪は、3人の娘と旦那さんと避難生活しながら
普通の生活、、日常を戻しつつ有るようです。
おっとり性格の姪は、オムツ、、ミルク、、大丈夫
皆さんのお陰と感謝と優しく婆ちゃんに話して居た。
多くの皆さんの感謝して居ます。
Posted by うえの屋女将 at 22:54│Comments(0)